父は、一年間だけ酒造りを見届けてくれました。
さまざまなプレッシャーの中で、酒造りの再開。
父の存在は、さらに大きく感じられました。
父の回復を信じ、ひたすらがむしゃらだった
初年度でした。
父が亡くなって、間もなく二年が経とうとしています。
”冷や酒と親の小言は、あとで効く”
今、父と同じ立場になって、父の苦労や
あのころの父の言葉に隠された熱い思いが、
少しずつわかるようになりました。
蔵元もすなる(蔵元もするという)‥
こちらでは、蔵元による文章等々をご紹介させていただきます。
少しでも蔵や蔵元像が皆様にお伝えできれば、と願って。
2006年7月。
蔵のある 奈良県香芝市の広報「ペンリレー」に
寄稿。市内のお酒屋さんのご主人から
ご紹介いただいたときは、
まさか自分に廻ってくるなんて‥と
身の引き締まる思いだったようです。
大倉 隆彦
「大きくなっても、造り酒屋なんかするもんと違うよ。
お父ちゃんは、お前の好きなことをしたらええと思ってる。」
幼い私に、父はよく言っていました。
それは、酒造業というものが困難であるがための親心なのか、
はたまた、私にその資質がないとすでに見限られていたのか。
それから、早や二十数年。私は父の意に反し、今や酒屋もんを
しています。
口にはせずとも、酒造業を誇りとしていた父。
自らの発病とともに、酒造りを休止した父。
何度再開の話をしても、頑として聞き入れなかった父。
最後の最後、半ばあきれ顔で再開を許してくれた病床の父。